与えられた時間は誰かの命
誰かが誰かのために用意した時間は
用意してくれたその人の命がそこに使われたということ
費やされた命。
それと同じ。。。
命を削って誰かのために捧げられたのと同じ✨
平等に与えられた時間
その時間をどう使おうが自由
しかし…
そのことをあまりにも普通に忘れ去り
命の使われたことを想えないとしたら…
そのようなあなたが
今は。。自らを自らで癒す必要のある時。
それだけ…あなたの内側が枯渇している
満たされたがっている…
自分のために生きるのはあまりにも狭い
そのことに気付くのも
ある意味では自らが癒やされてからともいう…
かもしれない。。。
しかしどうであれば満たされたという?
どこまでであれば溢れたという??
限られた命と時間の中で。
あなたがもし欲しいと思うものならば
あなたが先にそれを体現してできる場で与えていくこともできる
それが身をもって見せるということ
もちろん。
その見返りを求めることはできない
しかしあなたが自分の欲したことをそれさえなんであったか忘れてしまうほど
先に与え続けていることにさえも
無関心になれて自然に溶けた時
逆再生が始まる
あなたは長年欲しかったものを得たと感じることができ
それだけでなくさらに。。
与えられた全ての機会や与えられた時間に対し
あまりにも自然に湧いてくる感謝の泉を感じるだろう⭐️
そしてそのことも自らの努力として
遣わされた命を忘れるかもしれない。。。
しかしそこには分け与えられた命がある
そして自然と湧いてくることが
本当の感謝であることを体感し
愛に生きるとはそのようなことと目醒めるだろう…
与えてもらった時間こそ与えてもらった命と同じ
あなたがわたしのために創ってくれた機会が命
時間を費やしてもらったことへの恩義を忘れてはならないと思う。。。
それは命をもらったということなのだから✨
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