12年前とこの12年を振り返る

震災から12年が過ぎ。
様々な思いのある方々が多くいらっしゃる震災という大きな出来事。

印象的なものとなった2011年。

わたしの人生でのひとつの節目は2010年。
震災の約半年前にある決断をしました。
その時には目的を決めていました。
今もそれは変わりません。気持ちを新たに、柱を立てた時と言ってもいいと思います。
そこから迎えることとなった2011年でした⭐️

あの日より数ヶ月前から大事な夢を続きもので毎日観ていて…
寝起きが悪い日々でした。
起きると覚えてない内容だった…
とても重要だと感じてはいて、メモをするために枕元にノートを置いておいた毎日。
親しい友達に、「どうしても思い出したい」と話していたことを覚えています。
しかし…覚えていることはいつもなく、連日夢は続いていました。。。

震災が起きる前にその夢は突然ストップ。
その3日後くらいに、3.11。
午後のお客様とTVをつけた途端、その映像だったとわかりました…
あまりにも無力で無価値で何もできないことを目の当たりにした瞬間でありましたが、

その日お越しのお客様の安全
たくさん多方面からくるお客様からのご連絡
これらが、
その時の衝撃やショックを支えてくれるものになりました。

とりあえず避難しなくてはいけなくなるかもしれないから…と思って、
笑いながらおやつに出そうとしていた苺大福を出して、「食べてください。とりあえずお腹を満たして…(^◇^;)」
なんて言ったのを覚えています💦

避難になったら…いつ食べれるかわからないし…とか思って。。

わたしの中では苺大福は思い出のちょっと嫌なものになり…💦
自ら買おうとはしなくなってしまった。。
買う時は今も勇気が要ります。。。


この日お越しの方はこれをきっかけにしばらくしてご結婚。
この日を境に大きく様々な人生の変化を見たり聞いたり、また様々な出来事を体験しました。

あの日もし1人で過ごしていたら…
とても想像できない状態になってしまっていた気がする。。
お客様のおかげで、落ち着いていなくてはならない意識をできましたし、
無事送り出すための準備をしっかりすることもできました。
LINEやメールでのお客様とのやり取り…
連日続きました。

⭐︎

あの日から…
仕事の案件も様変わり。。
現地を飛び回る方々のメンタルケア、震災直前でのご縁によってサポートすることとなった方々…
様々な理由で理不尽な態度を取られる人たちの心のケア
また、ご自身が悪いわけではなくとも、
その場に赴き謝罪しなければならない人たちの思い…
また東北出身の方々や、現地に帰ることのできない人たち、連絡の取れない仲間とのこと、震災をきっかけに遭遇することになったこと…
そのようなお話の数々を聞いてきました。。

ひとの悩みに差はなく
その人それぞれのものであり
はかるものでもなく
比べるなどは最も無意味なもの


そのように感じる中でも印象的に残ってしまったのは…

『東北の方なら気持ちがわかる』


この言葉にどれだけの人が苦しんだでしょうか…
また、その言葉に苦しめられる人たちの多くと接したでしょうか…

『東北の人ではないからこの気持ちはわからない』


この言葉の棘がいかほどのものでしょうか…

悲しみの出来事として、
出身地や立場は関係なく
その実質的度合いにもちろん差はあったとしても
それぞれに抱えなくてはならなかったこと
があったと思います。
それほどにあの出来事は大きなものになりました。

わたしもまたそのような
謎のマウンティングや差別を感じながら過ごし、そのようなお声も多々届きました。
しかし、その発言をしてしまう人たちの中に
その言葉を選ばざるを得ない悲しみがあって、

そして…その発言や行為の愚かさを知らなかったのです。。。
知らないことは仕方がないと…
どうぞ赦してあげてください
と祈るしかないと思ったのです。
そしてそのように共有しておりました。

多くの方々が抱えた悲しみを
忘れることはありません。


当時の状況では、その事は口にできることはなく
もちろんその苦しみを味わった方々もまた
口にする場がないからこそ、
やりきれない思いをPER TE で吐き出してくださったんだと思います。
共有させていただき、できることをお伝えする、
認知の仕方と活かし方を共に考える
そのようにしてそこにいる方々と共に
歩むことをさせていただけたこと、
今も大変ありがたく思います。。。

⭐︎

なぜ人は差別をしたがるのか…
またなぜ人は苦しみの量を互いにはかるのか…
そして誰かを指し大したことはないとなぜジャッジするのか…
なぜ相手の立場に立てないのか…
相手の立場に立つことでなにが阻害されると恐れるのか…
不用意な言葉をなぜ簡単に吐くことができるのか…
なぜよろしくない境界線をつくるのか…

そのようなことを思い、考え、反芻し続けられた数年となりました✨

そこから学ばせていただけたことは
何かを理由に分けるということの無意味さ
境界線の有益な使い方
精神の底にあるおそれというテーマによる言動について

さらに…
復興を願い、その時ほど、人とは繋がって助け合わなければならないという意識の生まれ。
わたしたちにはもともと持つパワーがあって、このような時自然と助け合うような輪が生まれるものだと思います。
またこのように陰の極みと感じるような状況下ではない場合、
そのように助け合う姿は自然と消えてしまい
いつの日かまた比べ合う世界を始めてしまう。。
そのようになりやすいもの…

この、はかない【繋がり】というもの
そして、切ることのできない【縁】というもの
繋がっていたい、ではなく…
縁があると期待して繋がろうとすることや…
なにか利害が前提の繋がりであったり
コントロール不能な縁に対してコントロールしようとしたり…

あの時から12年経った今。
あの頃の時代とは様相も変わってきました。
ひとの記憶の中にも薄らいできたものもあるのではないでしょうか…
この12年間の行動の歪みが目の前に現れてくる頃なのではないか…
と感じることがあります。

あの頃大切にしなければならないと感じてきたもの
今はそうでもないと思っているご自身の真実
あの頃求められたものに応えることがある意味で繋がりを保つものであったこと
あの頃ご自身の中にあったおそれからの行動
今となればそれが見える、など。。。

今、あの頃を風化させないために、
という流れがあることも確かではあり
また改めて意識変化を感じているのではないでしょうか。

今もまだあの時の苦しみの中にある方々も
今はそうではなく新しい世界を見ている方々も
それぞれにこれまでのやり方ではなく新たな方法へと向かおうという時。。

これまでのやり方を軽やかに手放し
選んできたものの中にある質を見つめ直していける時ではないでしょうか

あの出来事がわたしたちの意識の奥深くに遺したもの
それらでこの先立ちゆかないものは
手放してもいいのです。
おそれなくてもいいのです

あの時から今までを支えてくれたものとして
大切なことでした。
これから先にはもう持ち歩こうとしなくてもいい
かもしれません。。

わたしたちはいつも自由に選択していいのです。
その選択に問われるものがあるだけです…
あなたの真実がどこにあるのかと。


12年経ち、未だ忘れることのないあの景色を心に置おうとせずとも忘れることなどはできません。
ですが、あなたにはあなたの人生があります。
その人生はいつ終わりが来るのかはわからない
それは誰しもに必ず来るものであって、
明日であるのかもしれないし、100年先かもわからない…
ここから先は簡単に死を選択できない時代の始まり

誰と苦労や苦痛を比べる必要はありません。
時代と環境に嘆き、そうでない人たちを軽んじることは無意味です。
あなたが思うあなたが生きたい道を行けばいいのです✨
みなおなじ方を向いて走る必要はないのです。
みなおなじ苦労を背負う必要もないのです。

だからと言って、
それをしなかったものが
それを知ることができないのではなく
わたしたちは互いに共感のできる生き物です⭐️

そうでなければ批判される
そのように思う必要もありません。
ひとは常に変わっていきます。
それぞれの道の中でそれぞれに積み上げる智慧が存在し輝くのです。

そのように
他の誰かではないあなたの智慧が磨かれていく時だと思うのです。

あなたはここでなにを思うものですか?

12年前のあなたが創ってきたものが今目の前にあります。
過去はすでに過ぎたもの、
未来は今から創っていくことができる、
あなたはここから先、過去からなにを学び、そして今なにを選び。

もしいつ命終わる時も、
なにを思い、いきますか?





PER TE

存在するけど、しない… 癒しと魂の導きを セッションでは、 年代、生物種生死問わず魂と繋がりながら 自分では気付かない本当のあなたが望む声を 知るお手伝いをします。 必要な答えに自ら辿りつく為の気付きへ…

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