フラッシュバックへの寄り添い

あの時のあの感情は…誰に理解されるはずもなく
いくら説明したところで誰の理解も及ばない
せいぜい自分のことと置き換えてすり替えを行い、それに対する共感のみ。。。
それが悪いというわけではない
そうやって共通であるという錯覚をもたらし
繋がりを得ることもある

孤独であるという感覚は
とても利己的であり視野の狭さのことを言う
しかし…過去に起きた出来事の認識やトラウマの感覚は誰の理解も及ばない。。
自らの中で昇華を待つもの。。。
そしてそれが孤独生むとしても…他の者では及ばないことは事実。。

だからこそ自身が最もその複雑さのそばにいること
決して離れない 誰の手にも渡さないこと
しがみつくということではなく
味わい昇華を待つものと共にそこにいることは深淵なこと。。

あの時のあの体験は遠い過去となっても
わたしの身体に染み付いて離れない
それはわたしが染み付かせて離さないということでもある。
ものの認識は人それぞれである

過去の出来事に細かな事実を見ることはほぼ不可能なことだけは真実

あの時のあの苦しみを忘れるなとするのは
なんであろうか…

忘れることなくそこから教えを受け継ぐためだろうか
傷ついた自分であり続けることでなにかを赦すためであろうか
あの日なぜあなたはあの行為に及んだか
それもまたあなたの正義であったのだろうか
あなたもまたその背景を理解されるところに及ぶことはない。
それはわたしもおなじである。。。

あなたはわたしを見て思うだろうか

あなたの行為か間違っていたのだろうか…と
いや間違いではない。。と繰り返すだろう
しかし…傷つけたことは事実なのかもしれない
それは仕方がなかったこと
しかし本当にそうだろうか…と

この苦しみを繰り返すことで罪を償うカタチか
そしてそれをさせるある種の報復として忘れることなかれ。。。か。。

多くの犠牲を払ってまでもあなたが守りたかったものは何か
多くを、、そして自分を犠牲にしても通したかったものはなにか
そしてそれは本当にあなた個人の意思だろうか。。。

誰かの行為がその悲しみの連鎖を破壊できる手立てとなる

わたしはいつどんな時も
どのように使われたとして
それに対しそのような人生であったと受け入れるだろう
それは諦めているのとは違う

湧き上がる過去の苦しみは
味わい深く味わってその涙を知り痛みと共に
甦る感情は事実とは異なる可能性があることを認識し
この先も何度でも味わいそれを受け入れ
それでもわたしが背負えば良いと他に委ねることなく。死まで共にあろうと。。
そしてさらに意味を持たせることはわたしにできることであろう…

そのひとつひとつの味わいを
決して人に説明などすることはなくとも
そのようなわたしであり続けそして待つ。

いつも人生には【待つ】ということができないほど
時間だけが無意識的に過ぎていってしまう…

キリストの教えはそのようなものであって
血を流すようなことの中にただ在ることによる強烈な目覚め。。

ひとりひとりの中にも同じような振り返りのあることを思い…
未昇華の感情を解放して恐れを超えて愛と共に。
ハートを開いて前進を💚


PER TE

存在するけど、しない… 癒しと魂の導きを セッションでは、 年代、生物種生死問わず魂と繋がりながら 自分では気付かない本当のあなたが望む声を 知るお手伝いをします。 必要な答えに自ら辿りつく為の気付きへ…

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