不動と千手
千手観音には手が千本ある
弓をもつひとつの手に心がとまれば…
残る999本の手は役に立たなくなる
1本の木で、ひとつの花に心がとまると、他の花、まして葉や枝は見えない
心がどこにもとまらなければ…全体は見える
千本の手は、心が不動智になるなら…千本の手があっても一時に役に立ついうことを示している。。。
心を取られるということの問題を示す
心は身体全体一杯にひろげて
その要るところへ出すのが理想
例えば踊るとき。
手をどこまで伸ばすとか、この手はどうかと考えるとか…
足の踏み方が人にはどう見えたかと思う、それは練習のうち。
上手くなれば自然と踊っていて
心にとどまるものがない。
心をとめているうちは練習ということ
反して不動智は…
不動は動かず 智は知恵
八方へ心を動きたきように動きながら
いつもとどまらぬ心をいう
動かないココロ、動転しないこと、ものに心をとめないこと、
…心が自由を得ること。
十人を相手にするとき、十度心は働くかもしれないけれど、一人にも心をとどめ過ぎず、次第に自然となされていく…
不動明王と千手観音はこの理の上に。
神道をはじめ諸道の極まるところ
千手と不動のあるところ
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