たとえばチャクラ。
チャクラについて。
知識を得るのではなくそれらを感じなくてはならない
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OSHO はこう言ってる…
仮説としての知識は助けにならない。仮説としての知識があると、あなたはそれを自分に当てはめるようになる。教えられた通りのやり方でものを見るようになるが、それはあなたの個人的な状況とはそぐわないかもしれない。そうなると大きな混乱が生じてくる。
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チャクラについて知識を得るのではなくて。
それらを感じていくこと。
自分の中に感覚をはり巡らしていく…
チャクラを。クンダリーニを。
その通路を実際に感じるように。
実際、内なる世界に関しては…
知識はつねに障害となってきたはずで。
知識が多くなればなるほど、実際にあるもの、真正なものを感じる可能性も少なくなってゆく…
それはとても悲しいことであるし。
知識欲という貪欲さはおさまることがない。。。常にむさぼり始める。
すべてはすでに体内にあり。
それを感じて…知識としてあるものを
自らのカラダやココロをつかって知ることができるはず
それをできないと決めつけ。
それができるまで待てないと焦り。
カンタンに探そうとする。
それは自らを蔑ろにする悲しい行為の可能性
必要な情報はすべてもっている…
チャクラについてというのは、
例えばの話。。。
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