疑心暗鬼

誰かを疑う気持ちに終わりはない

疑い出せばキリがない
疑う気持ちはあなたが持っているもの
疑い続けなければならないのも
疑ってなくてはいつか困るかも…
そう恐れているのかもしれないし
また騙されるのかも…
というかつてのトラウマに囚われているのかもしれない

疑っていることは心地良くはないはず
それを手放したいと思っているはず
それでも何年もその疑わしい気持ちを手放せない
そんな方もいらっしゃる
信じたくても信じられない、その苦しみ…

これは潜在意識の深いところでは、
実は手放したくない、
そこにしがみつく、しがみつかなければならないと思っている気持ちがある

手放してひとを信じる

その領域にいき、そこでなにも疑うことなく生きていくことは
相当の恐れが伴うと感じるかもしれない
過去の裏切られたトラウマや
その回避ができなかった自身への怒りや
気付かなかったことへの情けなさ
そのような経緯によっての自己信頼への薄さ
信じることがバカらしく思う気持ちやプライドを守ろうとすることも。。

そのようなものたちが存在することからも目を背け
何事も疑わしく思いながら生きることで
この先起きるかもしれないネガティヴなことからショックを受けないよう、準備ができ
不安に思う、その対処として敵策だと考える。。

それは楽な道である。
厳しいようですが…
手放さないことで何か利点があるからなのです。
危険回避、傷付くことの回避、そういった利点。
しかし起きるかどうかもわからないものに対してあなたが怯えていることが見えてくる。。

それはもはや目の前の人のことではない
変わること
その選択をすること
は変わらないでいるよりも
やらなくてはならないことが増え
不慣れで面倒なこともある。。
それを避けて通りたい

または疑わしい存在が改善すべきだと考えたり。
そのような怠惰な心は誰しもあるものです

しかし起きないか起きるかわからないものに恐れ疑わしく思い続ける
疑わしくなった途端、その確認作業に入る…
誰かを責めたり、追求したり、質問攻めにしたり
そのようなことをいくらしたところで
【疑い】は晴れることがない…
次から次へと綻びを探しては疑い続ける。。

その【疑い】が晴れない理由は、すでにあなたが疑ってものを見ているフィルターのかかった見方からで
そのサングラスを外さない限り見えてくるものはない
疑わしい証拠探しに躍起になっているだけだから。。

例えば誰かを疑ったところで
相手は疑わしいことの証拠など説明ができない…
ないものの証明などできないのです
そうやってやっているうちに
本当に大切なものまで失ってしまう…

疑わしいものは疑って責め立てるのではなく
よく観察する
コミュニケーションが必要ならばよく聞いてみること
その疑わしさが本当だったとして
ならばあなたはそのことと、またはその人と、
どう向き合いたいのか
あなたにとってその疑わしい人はどのような存在なのか…
ときには割り切る必要がある
ときにはまず相手の状況や性質を受け止める必要もある

理解し合うとき
相手のそのままに共感し受け止める
そのようなプロセスが必要である
一方的にそのようであればいいわけではなく
その人が何を考え、どのようなことを大切にし、
あなたに対してどう接してくれているのか、
よく観察すること
そして
あなたはその人とどのような関係でありたいのか

疑心暗鬼に苛まれ、のまれているうちには…
真実は見えてこない
また変わることも難しい…
あなたが持つ疑心暗鬼の内側を分析して紐解いていくことで
その背景に存在する過去とその精算、
そうして切り分けていくことで今の現実がようやく見えてくる。。

このことの繰り返しは何度でも必要である
あなたが受けてしまったトラウマと傷や悲しみ、怒りに対して…癒しの必要なタイミングであるとも言うだろう。。。
失いたくない人にほど、疑心暗鬼は増幅するのだから⭐️

そのチャンスの際にはしっかりと目を向ける必要があり、カウンセリングが必要なタイミング🍀
カウンセリングでは、何度同じ話をしても構わないのです。
その中にあなたが存在する
あなたの本当の声は…話したくないものの中にほどあるもの✨




PER TE

存在するけど、しない… 癒しと魂の導きを セッションでは、 年代、生物種生死問わず魂と繋がりながら 自分では気付かない本当のあなたが望む声を 知るお手伝いをします。 必要な答えに自ら辿りつく為の気付きへ…

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