外側に手を差し伸べることで
わたしたちはとりひとりが
それぞれの【深海】を超えたとき
その先に『外側に手を差し伸べていく 』
そのことでしか【光の先】に進める道は無いと…その段階になってはじめて気づいていく…
人はもともと精神的に問題を抱えやすい、
または弱い人が多いのが現実なのではないかと思う。またはそういう時もある。。
その結果か…
『他者を幸せにしようとか…世界を変えようとか…大それたことは考えず。
自分とその周りだけが幸せになれれば十分』
という考えが強いエネルギーを放つこともある。
もちろん…それが必要な段階もあり
大きな視点が必要な場合もある。
いずれも不十分な段階でのなんらかのサポートをしたり、エネルギーワークを始めてしまったりもする。
すぐに壊れる砂山のような積み上げであれば
何かの拍子にその名の通り…
崩れてしまうということもある
ただそれらもすべてプロセスであって
そこには必要とする人もあり…
多数ある段階という多様性によって
必要な存在であることは確かだと思う
ある場に辿り着くと…
自らが愛そのものであるという感覚は確かにあり
では…さらにその愛とはなんなのだろうか。。。
己の中にある強烈な憎しみや苦しみ、悲しみの最たるところ、絶望、それらもまた同じ愛からの派生のものでもある。
相対的にあるものによるその価値観なのだから…
他者への関わりと…そこへの何某と…
それらへ手を差し伸べてできることをしていくことが
さらなる魂の磨きに繋がる可能性であって
それが子供でも大人でも自然でも動物でも物でもいい
あなたの望むものが目の前に来るのだから。。
いずれにしても…
外側にできることの繰り返し
自分と他者を分別してさらに
その先にできることを繰り返し
疲弊する自分自身を受け入れることの繰り返し
愛のどちらを向いて生きるのかも
なにをここに置くのかも
すべて誰もにある可能性を見つつ
その先にできることをし続けてそれを訴えることなく
なにが必要かを見定めてさらに
どうありたいかの中で。。。
光の先に進んでいくことを
自らが選んで歩むまでに。。
個人のプロセスがある
人がひとり…というのは…
それだけでも大きなエネルギーを放ち
他を刺激し合って支え合って生きていく。
あることを許し
そこへの機会を感謝して
そのまますなおに⭐︎
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